伊原剛志:北九州の郷土料理に「お母さんが作ってた味や」 63歳で亡くなった母の思い出を語る 「徹子の部屋」で

7月7日放送の「徹子の部屋」に出演した伊原剛志さん=テレビ朝日提供
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7月7日放送の「徹子の部屋」に出演した伊原剛志さん=テレビ朝日提供

 俳優の伊原剛志さんが、7月7日放送の黒柳徹子さんの長寿トーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演。63歳で亡くなった母親の思い出や還暦から挑戦した三つのことなどを語った。

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 高1の時に家を出てしまったので、母の味を忘れていたという伊原さん。フィリピン映画の撮影で今年初めに福岡・小倉を訪れ、共演の奥田瑛二さんと焼き鳥屋に入った。そこで「あれ? これ、うちのお母さんが作ってた味や」と感じたという。いろいろな魚をぬかみそに漬けた料理だった。大将に尋ねると、北九州の郷土料理らしい。母は北九州の出身だった。

 出演した映画「硫黄島からの手紙」(2006年)の公開前に母が5年ほど闘病の末、がんで亡くなった。63歳だった。「僕のとりあえずの目標は母の年齢を超えること。もう超えそうですけど」と語る。どちらかというと母に似ている。母親はいろいろなことにチャレンジする女性だった。「お花もやるし、書道もやるし、料理も大好きだし。僕も生け花をちょっとやったりして、何でもやっぱりやりたがりっていうか」と語る。母親は亡くなる前にお見合いクラブに入り、彼氏が2人いたという。あんな人もタイプだったのかと聞くと、「あれはアッシー。もう1人が本命」といい、「ちゃんと毎年(がんの)検査に行きなさい」とアドバイスされた。

 昔は60歳というとおじいちゃんだと思っていたが、自分がその年齢になると、今まで蓄積され経験してきた、例えば役者の仕事などで得た引き出しからいろいろなものを出せる年齢になったのではないかと感じ、「やれば本当にできますし、夢はかなえられる」と思っている。

 3人の息子の子育てが終わり、「ベクトルが自分に向いたというか、自分だけのために残りの人生を思いきりエンジョイして、役者として仕事をやって行こうという気持ちになりました」と今の心境を語る。60歳から三つの挑戦をした。一つは全編仏語の映画出演のため仏語を身につけること。二つめはピアノの演奏。それまでピアノに触ったことなど全くなかったが、主演映画のため、6カ月で弾けるようになった。三つめは昨年12月に川平慈英さんと組んだ「なにわシーサー's」という漫才コンビ。「タイミングが合えば、M-1にも挑戦したい」と意気込んだ。

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